FF15って、こんなに面白かったの!?という驚き。
ファイナルファンタジーの開発期間はシリーズを重ねるごとに長くなっています。
初期の頃は1~2年のスパンで新作がリリースされていましたが、最近は4~5年かかるのが普通になり、
FF15に至っては10年もかかっています。
FF15の第一報が出たのは2006年5月。
そして実際にゲームが発売されたのは2016年11月。
『FFヴェルサス13』というタイトルで開発が始まり、紆余曲折を経てFF15にタイトルが変更されてからの開発期間は実質3年半のようですが、何だかんだ言って結局、完成までに10年掛かっているわけです。
FF15は2016年11月に発売されたゲームですが、私はすぐにプレイせず、8年間寝かせて2025年の1月にようやくプレイしました。
なぜ8年も寝かせたのか?
なぜ今さらFF15なのか?
今回はその件についてじっくり書いていきます。
そもそも私はFF15を発売前からずっと楽しみにしていました。
はじめてFF15のトレーラーを観た瞬間から独特な雰囲気に魅了され、その後いくつか発表されたトレーラーも心に響くものがあり、私はそれらのトレーラーを穴が開くほど繰り返し見て発売日を心待ちにしていました。トレーラーの中で特に印象に残っているのは主人公ノクティスとヒロイン、ルナフレーナの会話があるバージョン。
「ノクティス様も光が見えるんですね」
「俺が何を知っているのか俺自身も知らないんだ」
「私は行かなくてはなりません」
「忘れることなんてできないさ」
「私のことなど気にせず、自由に生きてください」
何だか意味不明な会話ですが、何故か私の心には響きました。
主人公ノクティスが父親と一緒に食事をするシーンも強く印象に残っています。
「どうした?食べないのか?」
「おいしくないよ……」
「でも、そんなことを言うな。料理人が仕事を失う。ばああっ!」
憶えている人は「あ~!あれかぁ!」と分かってくれるはず。
これがそのトレーラーです。
今みても何だか胸が熱くなるトレーラーです。
そんなわけで私はFF15のトレーラーを繰り返し観て発売を心待ちにしていましたが、待てど暮らせどFF15は発売されませんでした。そもそもFF15の初報が出たのはPS2の時代。FF15は次世代機のPS3で発売される予定でしたが開発が長期化した為PS4で発売されることになりました。
発売されたら当然買うつもりでしたが、念のため購入前に体験版をプレイ。
そして体験版の、あまりのつまらなさにびっくりしました!
嘘だろ?
十年も待たされた結果がこれかっ?
天下のスクエニが潤沢な資金を投じて十年かけた作品がこれなのかっ!?
一体どういうこと?
一体どういうこと?
ほとんどパニック状態。
私は激しいショックを受けました。
体験版をプレイしたのは8年前なので記憶が曖昧で、どういうところが駄目だったのか詳しく書くことはできませんが、とにかく
「だめだこりゃ!」と強く思ったことだけは、はっきり憶えています。
記憶を手繰ってみると舞台となるオープンワールドが何だか殺風景で物足りなかったような……。
何もない荒野にアスファルトの道が一本どこまでも続いているだけ。
建物といえば、ぽつんと建っているダイナーくらい。
まるでアメリカの荒野です。
さらに、主人公とその仲間たちもチャラいホストみたいな雰囲気で全く好感が持てません。
荒野を歩いているとモンスターと戦闘になりますが、戦闘も大味で楽しくなかったような気がします。
早々にプレイするのをやめて体験版を削除しました。
もちろん製品版を買うのも中止です。
ひょっとしたら期待が大きすぎてハードルがとんでもなく高くなっていたのかもしれません。
それにしても、これは酷すぎるのでは?
当時の私はそう思いました。
心に大きなダメージを負った私はFF15を記憶から抹殺することにしました。
そうしてFF15は記憶の片隅に追いやられていきました。
やがてFFシリーズそのものに興味がなくなりましたが、そんなある日PS Plusのフリープレイに
FF15ロイヤルエディションが登場しました。
え?これが無料でプレイできるの!?
しかもロイヤルエディション?
ロイヤルエディションって何?
完全版みたいな感じ?
私の心は再び揺れ動きました。
「いや……でも、体験版、全然面白くなかったし、ダウンロードしても、どうせやらないだろうし……
でも、無料なら一応ダウンロードしておいた方がいいのか?たぶんやらないけど……」
かなり迷いましたが結局ダウンロードしました。
ダウンロードしてみたものの、案の定ちっともやる気がおきません。
そうこうしているうちにハードはPS5の時代へ突入。
ますますやる気が失せていきます。
「今さらPS4のFF15?」
「ないわ~」
という感じ。
そもそもPS5でやりたいゲームが山ほどあります。
このままきっとやらないだろうな~と思っていましたが、2025年の1月に、
「今は特にやりたいゲームがない」という珍しい状況が訪れました。
その時はちょうど正月休みで、なんとなくのんびりした気分だったので、
「そうだ……今こそアレをやってみるか……」と思いつきました。
これが8年間の熟成(放置)の正体です。
2025年2月28日に発売されるモンハンワイルズの繋ぎになればいい。
そんな軽い気持ちでプレイ開始(PS4のゲームですがPS5でプレイしました)。
つまらなかったら即やめるつもりでしたが、いざFF15の製品版をプレイしてみると、
すぐにやめるほどつまらなくもない。
私は「あれ?」と思いました。
こんなはずじゃなかったのに……。
私としては「やっぱりFF15はクソゲーだった。十年待ったのは無駄だった」という事実を確認する為にプレイしたようなものです。それなのに意外と楽しんでいる自分がいる。
体験版をプレイした際、大味に感じた戦闘システムも、じっくりやり込んでみると、なかなか奥が深いです。
ひとつのワザだけ使ってゴリ押しすることも可能なので、その技だけ使っていると大味なバトルシステムに感じますが他にも様々な選択肢が用意されており、やれることが沢山あります。
仲間との連携技も豊富。
今まで体験したことのない斬新なバトルシステムです。
様々な武器や技を駆使して戦うと戦闘が俄然、楽しくなります。
そもそも映像が綺麗。
PS4のゲームなのにPS5のゲームと比べても遜色ありません。
というか、これよりも映像がショボいPS5のゲームは沢山あります。
PS4は優秀なゲーム機だったことを再認識。
莫大な開発費を投じて作られたPS4のAAAタイトルは今みても十分美しいビジュアルです。
FF15はAIも優秀でした。
プレイヤーが操作するのは基本的に主人公だけで、一緒に旅をする三人の仲間はAIが動かしていますが、
挙動や発言がとても自然。まるで本物の人間と一緒に旅をしているような気分になります。
PS5のドラゴンズドグマ2に登場するAIポーンより、よっぽど自然な言動にビックリ。2016年に発売されたゲームなのに2024年に発売されたドグマ2のAIポーンより賢いというのは一体どういうことでしょう?
スクエニのAI技術は凄いですね。
特に会話がとても自然で驚きました。
会話のバリエーションも豊富で本当に生身の人間と会話をしているような感じ。
同じ会話を繰り返すこともありますが、不自然な繰り返しではなく違和感はほとんどありません。
仲間の誰かが、まれに障害物にぶつかって身動きがとれなくなり、主人公からはぐれてしまうこともありますが、あくまでまれに起こる現象で、それほど気になりません。3人の仲間たちがとても人間らしく、
それぞれ個性的なので一緒に旅を続けていると、どんどん愛着が湧いてきます。
体験版をプレイした際の主人公と三人の仲間たちの第一印象は最悪でしたが、プレイすればするほど全員のことが大好きになりました。

主人公ノクティスの第一印象はチャラい奴。
何だかホストみたい。
どこかの国の王子様らしいが、いかにもワガママな雰囲気。
話し方も気怠げで『やる気』が感じられません。
きっと甘やかされて育ったドラ息子なのでしょう。

プロンプトの第一印象は、チャラいヤンキー、もしくはチャラいホスト。
王子の悪友で、虎の威を借る狐という印象。

イグニスの第一印象はインテリヤクザ、もしくはインテリホスト。
冷徹な策略家という感じ。
好きになれないタイプ。

グラディオラスの第一印象は筋肉自慢のホスト、もしくは柄の悪いチンピラ。
何でも暴力で解決しようとする感じ。
独断と偏見に満ちた第一印象で非常に申し訳ありません。
ゲームをクリアした今となっては、そんな第一印象を抱いた自分を深く恥じています。
特にイグニスには「すまなかった!」と
土下座をして謝りたい。
冷徹な策略家!?
とんでもない!
イグニスは全然そんな人じゃなかった!
凄くいい人でした!
すまんイグニス!
本当にすまなかった~!!!
プロンプトとグラディオラスもいい人でした!
そしてノクティス王子もワガママなボンボンなどではなく、本当はいい人でした!
FF15に対する印象はプレイ時間が長くなるにつれ
「クソゲーではないかも……」
↓
「普通に面白い」
↓
「めちゃくちゃ面白い!」
と変化していきました。
主要メンバーの第一印象が完全に間違っていたので、改めて主人公と仲間たちがどんな人物なのか紹介したいと思います。

ルシス王国の正統な王位継承者。
若者特有の尊大さはありますが、王子という立場を振りかざして偉ぶることは決してありません。
仲間のイグニスとグラディオラスはルシス王家に仕える者たちなので本来ならノクティスの家臣という立場ですが、彼らに対しても臣下としてではなく友人として接しています。
どうやら三人は幼馴染みのようです。
おそらく子供の頃から口を酸っぱくして「自分のことを特別扱いしないでくれ。話す時はタメ口にしてくれ!」と言い続けていたのだと思われます。

イグニスとグラディオラスはノクティスの希望に応えて臣下としてではなく、対等な友人のように振舞っています。それはいくらなんでも王子様に対して無礼なんじゃないの?と思うような言動をとることもしばしば。
そういう状況でもノクティスは「調子に乗るな!俺は王子だぞ!」と、怒鳴りつけることは決してありません。
当然怒ってもいい状況で怒ることもありますが、王子として怒るのではなく、あくまで対等な立場で怒ります。
これは常人には中々真似のできないことです。
こういうところにノクティスの人柄が表れており、好感が持てました。

プロンプトは一見、主体性のないお調子者のように見えますが実は芯の強い努力家で心根の優しい青年です。
他の仲間たちとは違い、ルシス王家とはゆかりのない一般人。
主人公ノクティスとは高校時代からの親友のようです。
主人公にとっては最も心を許せる相手なのかもしれません。
常に明るく振舞うムードメーカーで写真が趣味。
移動中や戦闘中もガンガン写真を撮ります。
そしてホテルやキャンプで休息をとる際、撮影した写真をみんなに見せてくれます。
この演出が、本当に旅をしているような気分にさせてくれて素晴らしいです。
気に入った写真は保存して好きな時に見ることができます。

グラディオラスはルシス王家を守護する『王の盾』アミシティア家の若き総領。
2メートル近い長身でマッチョ。
主人公ノクティスの剣術指南役でもある為、ノクティスを叱咤激励することも多い。
基本的にはフレンドリーで一緒に旅をしていて楽しい男ですが時折ヒステリーを起こすこともあり、巷ではヒステリーを起こすゴリラ→ヒスゴリと呼ばれています。
自分の価値観を強制的に押し付ける横暴な父親のような雰囲気もあり、パーティーの中では最も苦手なタイプですが根はいい人です。

イグニスは容姿も言動もスタイリッシュ。
冷徹な策略家という第一印象を抱きましたが、実はパーティーの中で最も気配りのできる人格者です。
ノクティスの側近となるべく幼い頃から英才教育を受けてきた人物で、文武両道。
ノクティスの良き理解者でもあります。
父親のような厳しさを持つグラディオラスとは正反対でイグニスは母親のような優しさでノクティスを見守ります。おそらく、このゲームを最後までプレイした人たちは十中八九、イグニスのことを好きになります。それくらい魅力的な人物です。車の運転と料理が得意で、ノクティス付きの運転手兼料理人という役目も担っており、どちらの腕も極上です。
FF15は移動手段の一つに車がありますが、自分で運転するだけでなくイグニスに運転を任せてオートドライブを楽しむこともできます。イグニスは容姿だけでなく運転もスマート。加速や減速が滑らかでハンドルの切り方も丁寧。

基本的に安全運転なのでスピードは控え目。
グランツーリスモを猛スピードでプレイしている私にとっては、やや物足りなさもありますが、これはレースではなく旅なので、これくらいの速度で走るのが正常だと思います。逆に時速300kmオーバーで走られたら、のんびりした旅気分が損なわれます。
そもそも主人公とその仲間たちは車に乗っても絶対にシートベルトを締めません。
シートベルトなど、この世には存在しない、という態度を貫きます。
これで猛スピードを出された日には死人が出ます。
なぜシートベルトを締めないのか?
最初は違和感を覚えましたが、イグニスのスマート運転術に身を任せていると、シートベルトなど不要に思えてきます。
ちなみに私が運転した場合、普通に急ブレーキをかけるので大変危険。

運転技術だけでなくイグニスは料理の腕もピカイチ。
旅の途中、何度もキャンプをすることになりますが、その度にイグニスが素晴らしい料理を作ってくれます。
今までのRPGのキャンプ料理といえば生肉や生魚を焼いただけ、もしくはそれに毛が生えた程度のものがほとんどでしたが、イグニスのキャンプ料理は桁外れです。
「こ、これは……普通のキャンプ料理ではないッ!」
そう叫びたくなるほどバラエティーに富んだ料理を作ってくれます。
プレイヤーは実際にイグニスの作った料理を目にすることができますが、CGによってリアルに描かれた料理の数々が本当に美味しそうです。ドラゴンズドグマ2のキャンプ料理は実写映像で肉を焼くという掟破りの荒技を使ってきましたがFF15はCGを使用した正攻法で我々の度肝を抜いてきます。
どうすればこれほどリアルな料理をCGで制作できるのか?
気になってネットで調べてみたところ、どうやら料理好きのアートディレクターが実際に全ての料理を作り、それをスキャンして、そのスキャンデータをCGに出力してテクスチャーとシェーダーを使い、本物の料理のような質感や佇まいを表現しているようです。物凄い手間がかかっています。

写真はササミとハムのサンドウィッチ。
これくらいなら普通のキャンプでも登場しそうですが、それを何段も積み重ねたハムサンド・メテオ盛などというものもあって、ちょっとびっくりします。

旅を続けていると入手できる食材の種類が増えて、料理のレパートリーもどんどん広がっていきます。










もはやキャンプ料理ではなく普通に飲食店のレベルです。
レアな食材をゲットすると更にお洒落な料理が登場します。



主食だけでなくスイーツもあります!



キャンプなのに、こんなものを作ってしまうイグニスって、いったい何者?
おそらくイグニスは料理が大好きというより、自分が作った料理をノクティス王子が美味しそうに食べてくれることが嬉しいんじゃないでしょうか?
旅の途中、常にノクティスを気遣い、戦闘中は、さりげなくノクティスの身を守るイグニス。
なぜイグニスはここまで献身的なのでしょう?
幼い頃からノクティスに仕えるために育てられてきたからという理由も勿論あるでしょうが、それだけでなく、友人としての長い付き合いがあったからこそ生まれてくる思いやりだと思います。
常に自分のことを気遣ってくれて、美味しいものを作ってくれて、一緒にいて楽しくて、いざという時は身を挺して守ってくれる人。そんな人、もう好きになるしかない。
プロンプトとグラディオラスも、それぞれ自分らしいやり方でノクティスを支えてくれます。
「俺、お前らのこと好きだわ」
これは主人公ノクティスのセリフですが、私もノクティスと同感です。
「お前らのことが好きだぁぁぁぁぁ~っ!」と叫びたい。
そんなわけで、このゲームは、大好きな三人の仲間たちと一緒に旅をしているだけで無条件に楽しくなってくるという希有な作品です。主人公ノクティスは重大な目的を胸に秘め、三人の仲間たちと長い旅を続けます。しかしこのゲームの最大の楽しさは主人公の重大な目的を達成することではなく『旅そのもの』にあります。
つまりFF15は旅を楽しむゲーム『旅ゲー』なのです。
私は今までたくさんの旅ゲーをプレイしてきましたがFF15は今までプレイしてきた旅ゲーの中でも最高の旅ゲーでした。部屋から一歩も外に出ることなく圧倒的な旅体験を味わえます。2024年にプレイしたドラゴンズドグマ2も素晴らしい旅ゲーでしたが、FF15は、さらにその上をいく究極の旅ゲーです。
もはや旅ゲーなどという、ありきたりな名称ではなく、今までにない特別な名称で呼びたくなるような
シロモノです。
『特殊FF』とか『旅ゲー・キング』とか『バーチャルトラベラーFF』とか、そんな感じ。
ドグマ2は移動手段がほぼ徒歩のみなので、現代人の感覚からすると、かなり面倒な旅でしたが、FF15は車での移動がメインです。さらに主人公は王子様なので運転手付きの超高級車で移動することができます。

基本的にゲームは自分で操作することが楽しいわけで、CPUが運転する車に乗っていても、ちっとも楽しくないはずですがFF15の場合、オートドライブがなぜか楽しいです。そう感じる理由は、現実世界でタクシーやバスに乗っている感覚に近いせいだと思います。私はタクシーやバスに乗っている時に窓から外の景色を眺めるのが大好きです。それに近い感覚を味わうことができる為、自動運転でも退屈しないのだと思います。
ドライブ中は四種類の視点から好きなものを選ぶことが可能。




フロントガラス越しに外の景色を眺めたり、カメラが引いた視点でパノラマ風景を楽しんだり、仲間たちの様子を観察したりと、出来ることが沢山あるのでオートドライブでも全く退屈しません。
退屈するどころか「え?もう目的地に到着したの?もっと長く乗っていたい!」と思うくらいです。
自分で運転するよりオートドライブの方が楽しい。
そんなゲーム、今まであったでしょうか?
私の記憶ではありません。
さらにドライブ中は歴代ファイナルファンタジーの曲をBGMとして流すことも可能。
FFシリーズのファンならば誰でもお気に入りの曲があると思いますが、それを聞きながらドライブを楽しめます。ちなみに私の好きな曲はFF3『水の巫女エリア』、FF7『エアリスのテーマ』、FF8『バラムガーデン』、『フィッシャーマンズ・ホライズン』、『ワルツ・フォー・ザ・ムーン』、『シャッフル・オア・ブギ』です。
驚くべきことにニーア レプリカントの『イニシエノウタ』と、ニーア オートマタの『ウェイト・オブ・ザ・ワールド』も収録されています。ニーア好きには、たまりません。欲を言えば『顕現シタ異物』もぜひ入れてほしかったところ。
なんと言ってもドライブ中にメンバーの様子をじっくり観察するのが楽しいです。
それぞれが実に様々な仕草をします。
伸びをしたり、頬杖を突いたり、頭を掻いたり、後ろを振り向いたり、本を読んだり、居眠りをしたり、缶コーヒーを飲んだり、誰かとお喋りをしたり、頭の後ろで手を組んだり。
メンバー全員のことが大好きなので、ささやかな仕草の一つ一つが、いちいち愛おしく感じられます。





ストーリーを進めると車をタイプDとタイプFに改造することもできます。
通常タイプの車は舗装された道路しか走れませんがタイプDは道なき荒野を爆走することが可能。

タイプFは空を飛行することが可能。
ファイナルファンタジーといえば飛空艇ですがタイプFが今作の飛空艇です。


とにかくFF15は王室専用車レガリアが大活躍します。

FF15の移動手段は車の他に、チョコボ、列車、船、そしてもちろん徒歩もあります。
様々な移動手段がある為、いかにも旅をしているような気分が味わえます。





旅気分をさらに盛り上げてくれるのがプロンプトの写真です。
写真が趣味のプロンプトは旅の最中、常に写真を撮りまくっています。




リアルな旅も旅先で撮った写真を見返すことによって、「ああ、あの時は、こんなことがあったなぁ~」と感慨に浸ることができますがFF15もプロンプトの撮影した写真を見返して何度でも思い出に浸ることができます。
















写真撮影は自分自身でも行えますが、プロンプトでなければ絶対に撮影できないアングルやシーンなども存在します。たとえばグラディオラスがドライブ中に読んでいる本のタイトルが気になりますが普通の方法では絶対に本のタイトルを読み取ることはできません。


自分で写真を撮る場合、この距離でしか撮影できないため本のタイトルが読めません。
でも、自分が知らない間にプロンプトが本のタイトルが見える写真を撮影していました。
キャンプで体を休めている時にプロンプトが見せてくれた写真の中にその一枚はありました!

本のタイトルは『知識の沈黙』。
なんだか凄いタイトルです。
グラディオは、こんな小難しい本を読んでいたんですね……。
知識が沈黙するということは、知識をひけらかさないということでしょうか?
本当に優れた人物は知識をひけらかさないので、一見、無知な人に見えることがあります。
そういえばグラディオもパッと見は脳筋ですが、ひょっとしたらメンバーの中で最も賢いのかもしれません。
あの外見とキャラで『知識の沈黙』。
何だかギャップ萌えしますね!
旅に持っていく本といえば文庫本が一般的ですが、グラディオが持っているのはハードカバーです。
グラディオはハードカバーを偏愛する人でしょうか?
それとも、いざという時はハードカバーのズッシリと重い一撃を相手にお見舞いするのでしょうか?
その可能性はあると思います。
素手よりも身の回りにある何かしらの物を使った方が防御や攻撃の安全性、攻撃範囲は増します。
狭い場所で戦う場合、大剣よりハードカバーの方が有効な武器になるかもしれません。
武器として使用するならば文庫本よりハードカバーの方が断然有利。
重要なのは本の内容ではなく、本の分厚さや重さ、堅牢性かもしれません。
あれこれと妄想が広がりますが、とにかく本のタイトルが判明してスッキリしました。
プロンプトの撮影スキルに感謝!
さらにプロンプトは、グラディオと、その妹が仲良くキャッキャッしている姿も激写しています。

こんなシーン、実際のプレイ中には目撃しなかったのに、いつの間に撮ったんでしょう?
確かに全てを自分の目で見ることは不可能です。
ちょっとよそ見をしている間に様々な出来事は起こります。
物事は常に移り変わり、不変のものは何もありません。
自分の目で見ていない光景を写真で見ることによって旅の奥行はさらに広がっていきます。
こういった作風は写真システムだけでなく、ゲーム全体を通じて感じられます。
主人公が実際に目にしなかった出来事は敢えて描かず、プレイヤーは後になって結果だけを知るという展開です。謎は謎のまま残しておき、プレイヤーが想像を広げられる余地を残しておくという感じ。
こういう作風は好き嫌いがはっきり分かれると思いますが個人的には大好きです。
謎だった部分を懇切丁寧に説明する追加コンテンツもありますが、個人的な意見を言わせてもらうと、
あんなものは蛇足です。本編だけで十分完結しているし、それがFF15の作風なのです。その作風をぶち壊すような追加コンテンツなど不要。ロイヤルエディションに含まれていた三つの追加コンテンツを実際にプレイしてそう感じました。
私たちが生きている現実世界では自分の知らないところで様々な出来事が起こっています。
そして結果だけを後から知ることになります。
そこで実際に何が起こっていたのかは知る由もありません。
人生は謎だらけです。
私たちは分からないなりに自分であれこれ考えたり想像したりして何とか自分を納得させて生きています。
現実世界の感触をFF15はリアルに再現しているような気がします。
そこに私は惹かれます。
どんなものにも肯定派と否定派がいるのは当然ですし、それが正常です。
全ての人を満足させるゲームなど作れるわけがありません。
好きな人にとって、FF15はシリーズ最高傑作であり、嫌いな人にとっては、ただの駄作です。
それぞれの感想がその人にとっての正解です。
ごちゃごちゃと書いてきましたが、結局、何が言いたいのかというと、
私にとってFF15は最高に面白いFFだったということです。
この感動が色褪せないうちに文章として残しておきたい。その一心でレビューを書いています。
書きたいことがありすぎて、いくら書いても書き足りないくらいです。
今まで一番好きなファイナルファンタジーはFF7でした。
二位がFF8で三位がFF3です。
今はFF15が一番好きです。
旅ゲーとして面白いだけでなく、ストーリーも素晴らしい。
人生の楽しい部分だけではなく、苦痛や挫折、そして希望、その全てが過不足なく描かれています。
この作品を作るのに十年かかったと言われても今なら納得できます。
これほどのゲームを作るには十年かかっても全く不思議ではありません。
たっぷりと時間をかけなければ本当に良いものは作れません。
良いものを作るには技術力と、作品に対する愛と、たくさんの時間が必要です。
手抜きのような速度で作られたものは、ろくなもんじゃありません。
実際にゲームをじっくりプレイすれば、制作者の技術力や、作品に対する愛や、どれくらい丁寧に作ったのかが肌で感じられます。FF15には、その全てがあります。だからこそ私はFF15が大好きです。
なぜ体験版をプレイした際、この素晴らしさに気づけなかったのか?
あの体験版は本当につまらなかったのか?
どうも釈然としないので本編をやり込んでトロフィーをコンプリートした後、久しぶりにPS4の電源を入れて、8年前に削除した体験版をもう一度ダウンロードしました。そして実際に体験版を再びプレイしてみました。
どうだったのか?
凄く面白かった。
これは一体どういうことでしょう?
狐につままれたような気分。
しばらく考えて納得のいく答えが出ました。
そのゲームが面白いのか、それともつまらないのかは、ある程度ゲームをやり込まないと分かりません。
体験版を少しプレイしただけで、そのゲームの全貌を理解するのは不可能です。
体験版の無いゲームは、いきなり製品版を購入することになりますが、製品版をプレイしても序盤はつまらないゲームがほとんどです。やり込んでいくうちにそのゲームが持つ面白味を理解していくというのがいつものパターンです。最初から最高に面白いゲームなど、まずありません。
例えばコーエーテクモから発売された『ワイルドハーツ』というゲームがあります。
このゲームは体験版が無かったので、いきなり製品版を購入しましたが、序盤をプレイした感想はクソゲーでした。もし体験版が配信されていたら購入を中止していたはずです。体験版が無かった為に製品版をじっくりプレイして、その結果、最高に面白いゲームだと気づき、最終的な評価は『ゲーム史に残る傑作』となりました。
もし体験版が配信されていたら、この傑作をプレイできなかったということです。
そう思うと愕然とします。
私は今までに体験版をプレイして購入を中止したゲームが山ほどあります。
ひょっとしたらその中に幾つも傑作ゲームが紛れ込んでいたのかもしれません。
FF15の体験版を再プレイして面白いと感じたのは、本編をじっくりやり込んでその面白さを理解していた為です。さらに主要メンバーのことが大好きな状態でプレイしているので4人の顔を見ただけで、もう嬉しくなってくる有様。なんだったら、このまま2周目をプレイしたいと思ったほどです。さすがに、そろそろモンハンワイルズを真剣にプレイしたいので、それは踏みとどまりましたが、つまり、そういうことです。
体験版でゲームの良し悪しを判断するのは非常に難しい。
今回の件で思い知らされたのは体験版には思わぬ落とし穴があるということ。
それは、体験版を少しプレイしただけで、そのゲームのことが分かったような気になってしまうところです。
実際には、その程度のプレイでゲームの真価を理解するのは不可能です。
もちろん大まかな雰囲気を掴み取ることは可能ですし、それは新しいゲームを購入する際の大きな判断材料になります。ある意味、体験版こそ、どんな情報よりも頼りになる究極の判断材料です。ただし体験版を少しプレイして得られるものは第一印象にすぎません。生理的に無理だと感じた場合、速攻で離脱するのも正解かもしれませんが、これはちょっと微妙だなぁ~という場合、やり込んだら大好きなゲームになる可能性もあります。
体験版をプレイして、つまらなかったゲームは絶対に買いませんが、製品版をプレイしてつまらなかったゲームは、やり込んだら凄く面白かったという経験が沢山あります。
つまり、第一印象を過信しては駄目です。
これはゲームだけの話ではなく現実世界でも同じです。
私は今まで体験版を過信しすぎていたようです。
体験版をやれば大体わかると思っていました。
体験版を過信するあまり、体験版を配信しないゲームは出来栄えに自信がないから出さないのでは?と、
ひねくれた見方をしていたほどです。
自信のあるゲームなら堂々と体験版を出せばよい。
そんな風に考えていました。
しかし、今回の経験で体験版が『諸刃の剣』であることを実感しました。
体験版を配信することによって買う人が増えることもあるでしょうが、『買う気まんまん』だった人が買わなくなってしまうこともあります。実際、私は今までにそういうゲームが山ほどあります。
実に恐ろしいことです。
逆効果です。
なんということでしょう!
制作サイドからしたら体験版を配信するのは非常に勇気のいることなのかもしれません。
たとえ自信満々の作品でも体験版を出したくないという考え方があっても全く不思議ではありません。
長い時間をかけて心血を注いで作ったゲームならば尚更、体験版などではなく、ゲーム本編をじっくり遊んでほしいという願いも生まれるはず。体験版はあくまで『お試し』であり、全てではありません。
そのことを肝に銘じて、今回の失敗を今後に活かしたいと思います。
何はともあれプレイするまでに18年もかかってしまったFF15ですが、この作品に出会えて本当に良かったです。ゲームが発売されてから8年も放置してしまいましたが、この8年間は、ある意味、本当に熟成期間だったような気もします。発売直後はバグが多かったようですがアップデートを重ねた現在は快適にプレイできます。ロイヤルパックや追加コンテンツが含まれたロイヤルエディションをプレイすれば、さらに楽しく遊べます。そして私自身、8年という歳月を経て8年前とは別人になりました。
人間として成熟したという意味ではありません。
そういう意味では8年前とほとんど変わっていません。
ただ、8年生きた分、今まで経験していなかったことも経験して物事に対する感じ方や考え方は随分変わりました。8年前にプレイするより今プレイした方が断然FF15を楽しめたと思います。
体験版をプレイした時は十代向けのゲームだと思っていましたが、ゲームをクリアした今は、むしろある程度年齢を重ねた大人こそ楽しめるゲームだと感じています。もちろん若者がプレイしても楽しめると思いますが、年を重ねた人ほど、心への沁み込み方がまるで違ってくるゲームです。私の場合、開発期間も含めるとプレイするまでに18年もかかってしまったわけですから感慨もひとしおです。
18年といえば長い時間です。
ゲームが大好きだった人間が、ゲームからすっかり足を洗い、ゲームとは無縁の生活を送っていても不思議ではないくらい長い時間です。実際、大人になるとゲームをきっぱりやめてしまう人は大勢います。
「大人になったらゲームが面白いと思わなくなった」そう言ってゲームから遠ざかっていく人がいます。
そういう辞め方はとても自然です。
余暇時間に、わざわざつまらないことをする必要はありません。
辞めて正解です。
私は今でもゲームが楽しいから、やり続けています。
いい大人ですが、子供の頃と同じようにゲームをやるとワクワクします。
これから先も自分が楽しいと感じているかぎり絶対にゲームをやめるつもりはありません。
『ゲームがつまらなくなったからゲームを辞めた』という選択は正解だと思いますが、他人の価値観に振り回されて自分が楽しいことをやめてしまうのは間違った選択だと思います。
ゲームなど時間の無駄だからやめた方がいい。
そう言う人が世間には大勢います。
余暇時間は無駄なことに使わず、将来に向けて何らかの価値を生み出すことに使うべきだと彼らは言います。
何か大きな目標があって、それを達成するために時間を使うことが楽しい人はそれをやればいい。
でも、全ての人に同じことを推奨するのは間違っています。
そもそも余暇時間は自分が本当にやりたいことをやる時間です。
ゆっくり時間をかけて自分が一番好きなことをやるべきです。
損得など、どうでもいい。
そうは言っても、やはり損するより得をした方がいいですよね。
私もかつてはゲームばかりやっていると罪悪感に苛まれました。
ゲームをプレイしている最中は間違いなく楽しいです。
時が経つのも忘れて遊び狂います。
でも、ゲームを終えて我に返ると、その時間にできたはずの様々な可能性について考え、激しく落ち込みます。心がとても痛いです。痛恨の一撃を喰らった気分。HP(ヒットポイント)が半分以上無くなってしまったような脱力感に襲われます。絶望に近い感情を抱くと言っても過言ではありません。
こういう気分はゲームが好きな人ならば誰でも一度は経験したことがありますよね?
これが嫌でゲームから足を洗う人も大勢いるんじゃないでしょうか?
それくらい激しい『痛み』です。
私もこんな苦痛を味わうくらいなら、いっそゲームを辞めた方がいいと思ったことが何度もあります。
でも、結局やめませんでした。
数えきれないほど痛恨の一撃を喰らいながらゲームをやり続けています。
なぜやめないのか?
私だって痛いのは大嫌いです。
こんなに痛い目にあいながら、それでもゲームをやめないのは、それだけの価値がゲームにはあると、
心のどこかで信じているからです。
ゲームは時間の無駄?
本当にそうでしょうか?
一見人生に必要なさそうなものが実は人の心を支えているということはよくあります。
世間で有意義な趣味と認められている読書、スポーツ、音楽鑑賞、映画鑑賞などと同等にゲームは価値のある趣味だと私は思います。読書には読書でしか得られない素晴らしさがあり、スポーツにはスポーツでしか得られない素晴らしさがあり、ゲームにはゲームでしか得られない素晴らしさがあります。
ゲームは言うならば総合芸術作品です。
そこには映像があり、音楽があり、物語があり、壮麗な建築物やダイナミックな人体の動きがあります。様々な要素が組み合わされ一つの世界を作り上げています。そしてプレイヤーはその世界に参加し、その世界に影響を及ぼすことができます。自分が生きている現実世界がすべてではなく、見えない場所に知らない世界がいくつも隠れていることをゲームは教えてくれます。
一つの趣味を突き詰めていくのもよいですが、様々な趣味を持つことによって、それぞれが刺激を受け合い、より深い味わいを醸し出します。読書をしたり、運動をしたり、映画を観たり音楽を聴いたりすることによって、ゲームが一層楽しめるようになります。その逆も然りです。
ゲームをやり続けていたからこそ18年という長い年月を経て自分が待ち望んでいたとおりのFF15と出会うこともできました。
私と同じように無料期間中にFF15ロイヤルエディションをダウンロードして、そのまま放置している方は大勢いるはず。
その人たちに言いたい。
今こそFF15をプレイする時です!
人によって面白さの基準は異なるので誰もが楽しめるとは断言しませんが、無料でプレイできる方はやってみても損はないはず。無料期間中にDLしなかった人たちはお金を払ってでもプレイする価値があると思います。
私は無料でプレイしましたが、クリア後の感想としては2万円払ってもいいと感じるほどの傑作でした。
アマゾンで新品が二千円以下で購入できるので興味のある方はぜひ遊んでほしいです。
実際にプレイしても第一印象は最悪かもしれませんが、じっくりやり込めば楽しめる人が大勢いると思います。
発売直後はバグが多かったようですがアップデートにより現在は問題なくプレイできます。
(私は一度もバグに遭遇していません)
発売直後に購入して、すぐやめてしまった人も、もう一度プレイしてみてはいかがでしょうか?
8年の熟成を経た今、FF15は完全体です。
コンテンツやストーリーの追加があるFF15ロイヤルエディションが断然おすすめですが、アマゾンでロイヤルエディションを購入するとプロダクトコードが入っていなかったり、使用できなかったりすることがあるようなので、アマゾンで安い『通常版』を購入して『ロイヤルパック(2200円)』と『シーズンパス(1528円)』をPSストアでDL購入するのがよいかもしれません。そうすればFF15ロイヤルエディションと同じ内容になります。他にも『エピソード アーデン』という有料追加コンテンツがありますが、これは「お好みでどうぞ」という感じ。

評価
最後にFF15の雰囲気がよく分かるトレーラーを埋め込んでおきます。
このトレーラーを観て「面白そう!やってみたい!」と思った人はおそらく楽しめると思います。